【嫁姑戦争と不妊治療①】流産したのはあなたのせい。姑と同居と解消と。
りんのSTORY番外編!
2008年勃発・嫁姑戦争の話。3話完結。
STORY全般そうだけど、
傷が癒えているから
サクッとオープンに話せるのだよ♪
傷があるうちは痛くて痛くて
感情がわいて書き進められないのだよ。
だから心配しないでね笑
☆
さてさて。旦那は一人息子でして。
父親は若い時に亡くなり、
母1人子1人で支えあって生きてきた親子です。
結婚して2年くらいたったころに見えてきたのだけど、義母と旦那は完全に依存関係でした。
もちろん本人たちはそんなこと気づいてもいなかったけれど。
結婚前からずっと同居を言われていて
結婚して2年したら同居するという約束でした。
2年がたち、義母の住む家へ引越。
このころ私は待望の第一子を自然妊娠。
私31歳、旦那33歳。
子作りはじめて1年以上できなかったのに・・
なんでだろ?新しい環境で盛り上がったのか?笑
でも、わがままな義母とわがままな私。
お互い「いい顔」できたのも同居して数週間。
すぐに義母のネチネチした攻撃が始まりました(笑)
「りんちゃんは息子くんの金魚のフンみたい!」
「息子くんに何でもやらせて、りんちゃんは何もしない!」
「りんちゃんは足が太いねぇ(ニヤニヤ)」
「りんちゃんは大して働きもしないで息子くんにだけ働かせてる!」
「いつ実家に帰るの?実家に帰れば離婚できるじゃないの。」
「玄関のカギはしめないでって言ってるでしょ!!〇※▲◇☆ーー!!(←怒って興奮して何言ってるかわからない部分)」
なんか今思うとどーでもいいことを
毎日いろいろ言われてました。w
妊娠中だと知っているのに
新聞紙の束を大量に運ばされたり
なんか過酷なことさせられてましたねー。
ある朝、2時間くらいネチネチと続く嫌味を
黙ってきいたあとに耐えきれなくなり
無言で家を飛び出したこともありました。
でもねー、ここでも私、
基本的には結構だまって耐えてたんだよね(笑)
またやってたねwww
ひたすら我慢するクセ!!
小公女セーラか?
たぶん私の母が暴君の父に
黙って従っている姿を見てきたからだろうなあ。
感情をあらわにする人や
嫌なことをいう相手に対して
「ひたすら黙って耐えしのぐ」
というモデルケースしか
身近に見てこなかったからなんだと思う。
ずいぶんドMな生き方をしてきたなぁ
と気づいたのは最近です(笑)
もうドM人生はやめたから!!笑
もうさ、理屈抜きで、このころの義母にとっては
私は「邪魔で疎ましくて完全にいらない存在だったんだよね。
「息子くん(旦那)だけいればいい、みたいな感じでした。
ある朝、台所でごはんを作っていたら
また義母が何か嫌なことを言ってきて
心臓がバクバクして軽い過呼吸を起こした私。
ここでもう無理だと思いました。
同居してたったの3カ月。
私たち夫婦は急遽、中古住宅を購入し、
義母の家を出ていきました。
たった2週間で旦那と何件もの家を見て回り
今の家がいちばんエネルギーがよかったので即決。
一刻も早く引っ越したい。と、
前の家主が引越したら壁紙などリフォーム工事を急いでやってもらって、すぐ!!転居。
こういうときの私の行動力はほんとすごいんですw
引越し前は連日連夜、
旦那と義母の激しい喧嘩などあり。
私はこのとき初めて
旦那の「怒鳴り声」をきいたのでした。
同居する前に
冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、・・・
すべての電化製品を処分してきたのに
数ヶ月後にまたすべてを買いそろえたのでしたw
でもね、引越後は極楽生活!!
義母がいないなんて・・自分の家だなんて・・
なんてすばらしい環境でしょう。
ひととき、とても幸せでした。
引越前の妊娠9週の検診では
赤ちゃんは大きくなり元気でした。
「順調だから次の検診は13週」と言われたのだけど
引越して2週間後、12週のときなぜか胸騒ぎがして。1週間早いけど検診へ。
赤ちゃんの心拍は止まっていたのでした。
稽留流産。
呆然としすぎて医師の言葉もまったく耳に入らず
頭が真っ白のまま車を運転して帰宅したのでした。
事情を知らない旦那が帰宅して
私は旦那の顔を見るなり泣き崩れました。
私の背中をさすりながら
「ごめん・・ごめんね・・」と謝る旦那。
一言ぽつりと「おふくろがあんな仕打ちしたから」と。
そのとき私は
流産の原因について、心のどこかで
姑のせいではないかと「思いたい」気持ちを
まるで旦那の言葉に後押しされるかのように
正当化して強めたのでした。
本当は原因は誰にもわからないし
原因を追求したところで意味はないのだけど
人間は本当に辛いときは
何かに、誰かに、原因を求めないと
立っていられないこともある。
そんな弱さももつ生き物なんだと思う。
でも誰かのせいにすることが
一番自分を傷つけていることも
どこかでわかっている生き物。
その証拠に
誰かのせいにしている間は
気持ちは晴れることはないし
運気も悪いままなのです。
☆
稽留流産って
なんだか突然通告がくるのです。
幸せだった場所から
なんの予告も、心の準備もなく、
突然不幸に突き落とされる感覚なのです。
人は、この落差を埋めるのが
しばらく大変なんだと思う。
それから1週間くらいして
夕方から断続的におなかが痛くなり(今思うと陣痛)、夜中に破水と大量出血。
そのまま緊急で夜間診療へ。
わりとたくさんのことを
努力で叶えてきた私は
【いのち】という
自分ではどうにもならない
神様の領域のようなものが
あることを初めて体験し
自分の努力の及ぶ範囲など
いかに小さく無力か
ということを知ったのでした。
それから数カ月。
なにかをぽっかりと失ったようなぼーっとした時間
そして自分を責める日々が続きました。
これから何をして生きようと考え
社労士の勉強を始めますが
図書館で勉強していても
突然襲う悲しみと
姑を許せない気持ちと
自分を責める気持ちと
深い深い喪失感・・・・・・・
流産して半年くらい
そんな日々を一人で過ごしていました。
外出先でも突然胸にこみあげる
張り裂けそうな気持ちに涙がとまらず
1人号泣しながら
なにより「姑を許せない気持ち」に
自分が一番苦しんでいたのでした。
心のどこかで
本当は原因なんて誰にもわからない
と分かっていたのに
姑を許さず責め続ける
そんな自分でいることが
一番苦しいのでした。
旦那が帰宅するときだけが
毎日ほっとする瞬間で
ささやかな幸せだった
そんな時期でした。
(かわいい妻だったwウケるw)
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