【嫁姑戦争と不妊治療②】 姑との絶縁時代と不妊治療。
第2話!
流産して少したった頃
はやく妊娠したくて不妊治療をはじめました。
最初の妊娠まで1年4ヶ月かかったので
のんびり待てない気持ちがありました。
流産の心の傷は
無事に出産することでしか癒えない。
そんな気持ちでした。
それが真実かどうかはわからないけど。
不妊治療中はとても姑に会う気になれず
私だけ絶縁状態。
かろうじて年始の挨拶だけ言ってたかな。
だから1年に1回しか姑とは会わず。
※旦那は一人暮らしの母親の様子をみに
週に1回くらいは実家に行ってました。
不妊治療中は自然と友達付き合いが減った。
会うのが嫌だったとかそういうわけではなく
なんとなく話題があわなくなった。
この頃の私のパソコンの検索ワードは
「排卵」「高温期」「妊娠の兆候」「妊娠4週目」「妊娠検査薬 陽性」・・・
そんなワードでいっぱいでした。
不妊治療のなにが嫌だったかというと
タイミング法のときは「今夜、夫婦の営みをしてください」みたいに医師から日を指定されるのですが
だんだん旦那が「仕方なく」やっている感じが垣間見えたとき。
(もちろん彼なりにがんばってくれてました。)
まぁ仕方ないと思います。
本来そういうものは、本当に気持ちや性欲が盛り上がったときにしたいし
治療中は、私も仕方なくやっていた日も何度もあった。
でも旦那のその態度を何回か垣間見るたびに
すごく自分が女性としてみじめに感じ始めました。
たとえ夫婦でも
最中にぞんざいに扱われるのは
女性はとても傷つく生き物。
存在の根底から傷つくのです。
女性の心と身体は傷つきやすい。
だから女性は自分の心とカラダは
自分で守ってあげないといけない。
☆
ある日また医師から
「では今夜ですね」と言われた帰り。
旦那の「仕方ない」雰囲気を思い出すと
とても気持ちが沈んで重くなり・・。
車の中でしばし考えた。
今周期もちゃんと
クロミッド(卵胞を育てる薬)をのんだ。
また旦那に「今夜」と伝えなきゃいけない。
でも本当に気が重い。
がんばって診察もうけた。
でもとてつもなく気が沈む。
医師からGOがでた。
でも考えれば考えるほど憂鬱。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう・・・・・・・・
私の気持ちをとるか
妊娠のチャンスをとるか・・・・・
運転席に一人座ったまま
考えること5分。
よし。
今回はやめよう。
そう決めて
勢いよく車のエンジンをかけた。
その日から1年以上
私は不妊治療をやめました。
不妊治療中は、1年に10~12回くらいしかない妊娠のチャンスの中で
たった1度でもそのチャンスをあきらめるということは、とても勇気がいることでした。
でも
子づくりのためのセックスが
だんだん女としてみじめな気持ちになるのであれば・・・
一旦リセットしよう。
私はそういう男女の時間こそ
女性として大切にされたい。
だから
私自身を大切にする方を
選択したのでした。
しかし、通院をやめ、
社労士試験に合格し就職し
永遠に続くかのように思えた激務
(りんのSTORY第3話)をこなすうちに
どうにかしてこの地獄のような激務から
逃れる方法はないかと考えだしました。
妊娠するしかない。
笑
いや、普通に退職すればいいんだけど(笑)
あの頃の私は
【対外的に納得される理由】がないと
仕事を辞めるということができなかったのです。
やだ!私ったら結構まじめじゃない♡
え?ちがう?笑
そう。「他人の目」を思いきり
自分の中に入れて生きてたんだね。
今の私ならシンプルに
「やめまーす!」かな笑
だって自分、大事だもん。
激務をこなしながら、不妊治療再開。
治療はタイミング法から人工授精へ。
このころは
仕事の権限が私に任されていた部分が多かったので
病院の待ち時間が5分くらいですむ昼休みを狙って
官公庁へ書類提出に行くついでに通院したり
夜8時に病院に滑り込んで
ホルモン注射してまた仕事に戻ったりしながら
淡々と人工授精を続けたのでした。
そうそう。
人工授精って「採りたての精子」を持参するのですが、
病院にいくまで精子が冷えないように、人肌にあたためておくように言われました。
人肌って、一体どうやって?
ハンドタオルでくるんでポケットに入れたり
ブラジャーに突っ込んで持参するのだと。
ええ。
私まじめですから。笑
やりましたよ。
朝採り精子をブラジャーに突っ込んで家を出て
まずは早朝の会社の会議に出席。
会議でめちゃ真面目な顔しながら座ってるのに
ブラジャーに朝採り精子ですからねww
その日だけは
会議と課のミーティングが終わったら
会社を飛び出して病院へダッシュ。
病院についたら
朝採り精子をブラジャーから取り出し(笑)
私の子宮に入れてもらってから
またダッシュで仕事に戻っていたのでした。
すげーわw
そして
5回目の人工授精で長女を妊娠。
医師に妊娠確定を告げられた時は
流産からの数年のことを思い出し
あふれる涙が止まらなかった。
再び赤ちゃんがおなかにいることが
とても嬉しくて幸せだったし
これで60歳定年までこの激務を続けなくていいんだ・・・と安堵もしました。(笑)
そして無事に出産を迎えました。
流産したときの心の深い傷あとは
とてもやわらかく薄くなり
限りなく過去のものになっていました。
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